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戯曲『親の顔が見たい』作者・畑澤聖悟さんに聞く いじめを巡る言葉

2019年8月6日

戯曲『親の顔が見たい』作者・畑澤聖悟さんに聞く いじめを巡る言葉

戯曲『親の顔が見たい』作者・畑澤聖悟さんに聞く いじめを巡る言葉

『親の顔が見たい』は、壮絶ないじめを受けて自殺した女子中学生の遺書を巡り、いじめの加害者である同級生の親と先生たちの姿を描いた戯曲です。作中のさまざまな場面で、心に刺さる言葉がちりばめられ、多面的な意味合いが込められています。

2019年2月、札幌の生活支援型文化施設コンカリーニョにて、『親の顔が見たい』が再演されました。同戯曲の作者であり、劇団「渡辺源四郎商店」店主、そして、現役の高校教師でもある畑澤聖悟さんに、劇中のセリフに込められた思いなどを伺いました。
 

韓国では映画化も……繰り返し演じられる衝撃作『親の顔が見たい』

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『親の顔が見たい』は晩成書房より書籍化されています。

ある朝、とある名門女子中学校の教室で、女子生徒・井上道子が命を絶っているのが見つかるところから、舞台は始まります。

第一発見者は担任の戸田先生。遺書には、彼女がいじめを苦に自殺したこと、そして、加害者である生徒たちの名前が記されていました。

『親の顔が見たい』に登場するのは、いじめの加害者とされる生徒たちの親や教師たちといった大人だけ。他クラスの生徒や道子のバイト先へ1通、また1通と郵便で届く遺書から、いじめの壮絶さがあらわになり、親たちは自分の娘がそんな酷いことをするはずがないと主張します。物語が進むにつれ、何があったのかが明かされ、表に出ていなかった親たちのエゴやそれぞれの家庭の事情が生々しくさらけ出されていきます。

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(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)

そんな戯曲『親の顔が見たい』は、劇団「昴」のために書き下ろされました。第12回鶴屋南北戯曲賞にノミネートされ、2008年の初演以来、さまざまな劇団で何度も再演。国内のみならず、2012年には韓国の劇団神市にソウルでロングラン上演が行われ、さらに2017年にキム・ジフン監督により映画化もされています。
札幌では、NPO法人コンカリーニョのプロデュース作品として、キャストを大人だけの「大人チーム」、中高生だけの「中高生チーム」の2組に分けた演出で2016年に上演され、2019年に再演。

2019年夏にはArt-Lovingにより川崎での再演が予定されています。
 

「過去のものにならない物語」を思う悲しみ

――2019年、札幌での『親の顔が見たい』の再演を、畑澤さんはどのように感じられましたか。

s04&プロフィール

畑澤:この戯曲に再び新たな命を吹き込んでいただけたことは、作者として大きな喜びを感じています。プロデューサーの斎藤ちずさん、演出の納谷真大さん、イトウワカナさん、スタッフキャストの皆さま、そして、この素晴らしい出会いを与えてくれた全ての皆さまに心より感謝しています。

しかし、同時に悲しくもあるのです。この馬鹿げた物語はいつになったら昔話になってくれるのでしょう。現実の世界からいじめがなくならない限り、この物語は過去のものにはならないのです。今もあちらこちらの教室を覆う悲しい霧が、一日も早く晴れることを願ってやみません。

――わたしは、今回、大人チームと中高生チームそれぞれ2公演ずつ観ましたが、観るたびに違う面を感じました。いじめたことのある人、いじめられたことのある人、そして、それぞれの親や先生……。立場が違うと受け取り方が全く違ってくるのではないかとも思います。単なる「いじめの物語」より、もっと大元になる部分があるように感じましたが、いかがでしょう。

畑澤:『論語』の子路編に有名な一節があります。『楚の葉県の長官が孔子に言った。私の国に躬という直き者がいる。彼は父親が羊を盗んだとき、役人に訴え出たのだ。孔子がそれに答えた。私の国の直き者はそんなことはしない。父は子を庇(かば)い子は父を庇う。「直」はその中にあるのだ』というものです。

この中の「直」を、「正義」もしくは「正義感」と訳しても大きな間違いではないと思います。楚の葉県の長官は父の盗みの証人となった子に正義があると捉え、孔子は父をかばうのが子としての正義であると捉える。

このように、「正義」は親子の関係の中で大きく揺らぎます。この芝居はいじめを題材にしてはいますが、書きたかったのはいじめそのものではありません。いじめを通して揺らぐ「正義」。それを描くことに救いの道があるのではないか考えています。
 

事実を隠そうとする大人の思惑

――劇中に言葉以上の重みが含まれているセリフやシチュエーションが多かったように感じました。例えば、自分の子どもの名前の書かれた遺書を公開しないよう求める親たちに、校長・中野渡をはじめとする職員は、事実確認ができるまでは公にしないと決めます。

しかし、いじめの内容が明らかになり、遺書を公開すると決めた校長。親の1人、長谷部亮平は「なんで、急に態度変わったんですか?」と問います。それに校長は「変わってませんよ」と答えます。このセリフには、どんな意味があるのでしょうか。

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次々と届く遺書によりいじめの内容が明らかになっていく(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)

畑澤:そうですね……。台詞の解釈はその舞台ごとに、俳優に、演出家に、そして観客に委ねられるべきものと私は考えています。逆に、あなたはどのようにお感じになりましたか?

――校長からは、保身や学校の名誉を第一に考えている印象はあまり感じませんでした。この事態をどう扱うかへの戸惑いと、たとえ加害者の生徒たちであっても傷つけないためにどうするべきか。「遺書をなかったことにするなど、とんでもない」と心の中で思いながら、親たちの圧力に負けたのが最初の同意であったのかと。そして、動かせない事実と判断できる状況へ転換し、「(自分の心の中は)変わってませんよ」という発言に繋がるのかなと思います。でも、世間の目から逃げられないなら、早く公開してしまおうという腹積もりもあったのかもしれませんが……。

畑澤:あなたが感じたことがすべてであって、それでいいのではないでしょうか。正直なところ、作者から『正解』を言うなど野暮だなあ、と思うのです。感じ方の多様性こそが価値なのではないかと思います。
 

「あなたの気持ちはわかります」の本意

――もう1つ気になったのは「あなたの気持ちはわかります」というセリフです。加害者生徒の親同士の会話で何度か出てきますが、「本当に相手のことをわかっているのではなく、うわべで口にしているのでは?」と感じました。「わかる」は相手に歩み寄るための大切な言葉だと思うので、とても違和感があります。

畑澤:共感すること、あるいは共感しているように振る舞うことは、共闘するために必要だからです。セリフと中身のズレをお感じになったなら、それはそれでよいと思います。

――うわべであろうと、本当の意味で共感・理解していなくとも「わかる」と言うことで、連帯感を出そうということなのですね。加害者生徒の親・亮平は「協力しあうべき」「団結しましょう」と繰り返し言っていますし。

ただ学校にやってきた道子の母親に対する、亮平のセリフ「あなたの気持ちはわかります。でも、まだ、(いじめの)事実は確定してないんです」の「わかります」は、全く「わかって」いない上に、かなり残酷な言葉であると思いました。

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娘・道子の遺書を読む珠代に、亮平が「あなたの気持ちはわかります……」と伝える(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)

畑澤:そうかもしれませんね。

――現実の中高生が、親に「わかる」と言われても、「ほんとはわかってなんていない!」と頭にきて反発することがあると思います。この「わかる」と、共闘するための「わかる」にはどのような違いがあると畑澤さんは思われますか?

畑澤:この場合の『わかる』は、子が『自分が思ってほしいように親に思ってもらう』こと。つまり甘えです。反発することで甘えられるのだと思います。共闘するための『わかる』は単に戦略で、相手を理解することとは関係ないと考えます。
 

これから生き続ける人たちのセリフ

――最後に、長谷部亮平と妻の多恵子を教室に残して、学年主任の原田先生が出ていく時、「翠さんは、いい子です」と声をかけます(翠は長谷部夫妻の娘)。これは、「悪い子」がいじめを行うのではなく、どの子にもその種がある。それが芽吹くか芽吹かないかという思いが込められているように感じました。

畑澤:そのようにお感じになりましたか。作家的には多義的でいい台詞が書けたとは思っています。

――そして、最後の長谷部多恵子のセリフ「生きていかなきゃならないんだから」に表されるように、死んでしまった井上道子以外のすべての人が生き続けなければならない。この結末のその後を、畑澤さんはどのようにお考えですか?

畑澤:加害者生徒たちは大きな傷を負って生き続けてほしい、とは思いますが、そんなことはないでしょう。大きな傷を負って生きるのは、道子の母親と担任の戸田先生だけかも知れません。戸田先生は最後に教員として絶対に言ってはならない言葉、『この世でいちばんあの子たちを殺したいって思ってるのは、道子ちゃんのお母さんではありません。……私です』を、親に対して言ってしまいました。このあと、教員を続けるのは難しいと思います。

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道子の母親に打ち据えられた後、戸田先生は言ってはならない言葉を放つ(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)
 

この物語が過去の遺物になることを祈って

――この戯曲を、大人チームと中高生チームがそれぞれ演じる意味をどうお考えですか。

畑澤:物語にいじめの加害者である子どもが登場すれば、観客それぞれに、自ずから多角的な見方と意味づけが生じます。しかし、子どもが登場しなければ、大人(教師と親)から見た子どもの姿をそれぞれ直接的、ストレートに提示できると考えました。さらに大人である親と教師を中高生が演じれば、そこにはいない子どもの姿がより鮮明になります。あの親の子はあんな子なんだ、と。

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大人と中高生が同じ役を演じることで浮かび上がってくるものがある(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)

――2008年の初演から11年、この戯曲を巡って、変わったと感じること、変わらないと感じることを教えてください。

畑澤:いじめの方法が巧妙に狡猾に残酷になっていると思います。LINEなどSNSの発達以前と以後では全く違っています。ただ、いじめの原理やメカニズムそのものはあまり変わっていないと感じます。

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靴を履き替えることで子どもから大人へ、大人から子どもへと変わっていく中高生たち。自分の靴を履いた途端、満面の笑顔が戻る(写真提供:NPO法人コンカリーニョ/撮影:高橋克己)

――最後に今、中高生へ伝えたいメッセージをお願いします。

畑澤:いじめに遭ったら逃げてください。LINEなんかやめてもいい。学校に行かなくてもいい。あなたが死んでもあなたをいじめる連中は傷ついたりなんかしない。とにかく死なないで。

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(写真提供:NPO法人コンカリーニョ)

『親の顔が見たい』は2019年8月22日から、Art-Lovingにより神奈川県のラゾーナ川崎プラザソルで上演されます。今回は親役に現役の教師が挑戦するそうです。この戯曲は受け取る側次第で、さまざまな意味が生まれてくる物語です。ぜひ、ご自分の目で観て、感じてほしいと思います。詳細は公式ウェブサイトでご確認ください。
https://www.art-loving2016.com/drama-oyanokaogamitai

(企画・取材・執筆:わたなべひろみ  編集:鬼頭佳代/ノオト)

<取材先>
畑澤聖悟さん
劇団「渡辺源四郎商店」店主。劇作家・演出家。2005年日本劇作家大会短編戯曲コンクールで最優秀賞を受賞。放送作家としても活躍、ギャラク シー大賞、日本民間放送連盟ラジオ娯楽部門最優秀賞、文化庁芸術祭大 賞など多数受賞。現役の高校教師でもあり、演劇部顧問として指導にあたる他、地域で小中高生向けのワークショップも数多く行っている。

渡辺源四郎商店
http://www.nabegen.com/

<協力>
NPO法人コンカリーニョ
http://www.concarino.or.jp/
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